ホーム仙台見聞録 > 1枚の写真

一枚の写真から

December 2009
仙台の動脈 【一枚の写真から】

仙台の動脈

100万都市仙台を支える道路や橋は、先人たちが苦労して作り上げ、現代に受け継がれています。今や欠かすことの出来ない暮らしの大動脈となっている道路や橋も、その始まりには、熱い思いとともに沢山の汗や涙が流されたはずです。その上を歩く時、先人たちの苦労に思いを馳せて見るのもいいかもしれませんね。

【写真提供:仙台市】

●昭和31年の青葉通り(一番町付近)
戦後11年を経た仙台の中心部。中央左手に「森天祐堂」の看板が見えますので、青葉通りと一番町の交差点を西側から写したものと思われます。森天祐堂の手前のケヤキが二本立っているあたりが一番町。その手前には「ひらつかのカステーラ」という文字も見えます。この時代にはマイカーなど夢のまた夢の乗り物で、庶民はもっぱら自転車を利用していた事が良く分かります。舗装道路も僅かに上下2車線で、路肩は駐車スペースのようになっています。この時代に将来の自動車社会を予測して太い青葉通りを設計した都市計画の確かさに驚かされます。
それにしてもケヤキのか細さに半世紀の時間の重みを実感させられる1枚です。

Image
Image

●八木山橋工事
昭和39年に行われた八木山橋工事の様子。もともと、八木久兵衛さんという方が市民のために私財を投げ打って架けた吊り橋を、近代的な橋に架け替えたもの。今では市街地から八木山方面に抜けるのに欠かせない橋になっていますが、その始まりは一人の市民によるものだったなんて、意外ですね。写真にはクレーンのような大型重機も見当たらず、人の知恵と技術を駆使して70メートルの断崖に橋を架けた事が良く分かります。

●愛宕大橋竣工
昭和50年の愛宕大橋竣工の様子。今から35年近くも前の一枚ですが、橋も背景に広がる風景も現在と殆ど変わりないのには驚かされます。ただ、クルマや人々の装いには、さすがに時代を感じずにはいられません。特におばあちゃんたちの服装と面影・・・確かに、昔の仙台のおばあちゃんたちって、こんなちょっと怖い感じの人が多かったような気がしませんか?

Image

写真および記事の無断複製・複写・転載を禁じます。

名前 コメント 投稿日時
けやき道 八木山の橋、すごいですね 20100120
おかちゃん 愛宕大橋が完成する前まで
愛宕橋の下でボート乗りした記憶があります

宮沢橋の貸しボートは昔 有名でしたが
ここら辺にもありましたよね??
20100111
HIGE2号 この記事を見ながら、現在の仙台の街並みと見比べています。今、何気なく接している道路や建造物はいろいろな歴史があるのを感じます。

次回も楽しみにしています。
20091209
ほんごう 20年程前、毎日通っていた愛宕大橋。
想い出がいっぱいで涙が出て来ました。
苦労した大学の単位や仙台の女の子のことなど
想い出しました。
20091206
November 2009
仙台の大きな空 【一枚の写真から】

仙台の大きな空

今から40年~50年ほど前の仙台には、大きな空が広がっていました。まだまだ建物もまばらで自動車も殆ど普及していない時代に、大通りや大きな橋が次々に整備され、市民を驚かせます。しかし、その都市計画は的確で、やがて100万都市仙台がこの上に築かれてゆく事になります。あの頃あんなに大きかった仙台の空は、今、近代的な建物によって水分埋め尽くされていますが、その美しさは少しも変わりません。

【写真提供:仙台市】

●昭和30年頃の二番丁通り
終戦後10年を経て、ようやく街のインフラが整備されてきた頃の二番丁通りのひとコマ。建物はまばらで、自動車が殆ど通行していない道路の上には広大な空が広がっています。この時代に現在の仙台を想像できた人が何人いたでしょう。

Image
Image

●中の瀬橋竣工
昭和32年に行われた中の瀬橋竣工の様子。多くの市民が完成を祝って集まっています。もんぺや和服に割烹着姿のお母さん達に時代を感じます。砂利道を賑やかに鳴らして歩いて行く音が聞こえてきそうですね。

●定禅寺通り一番町交差点
昭和32年の定禅寺通りと一番町の交差点付近。よく見ると苗木のようなものが植えられています。この苗木が半世紀を経て現在のケヤキ並木に成長したのでしょうか。遮るものが殆どない交差点の上には、大きな空が雄大に広がっています。

Image
Image

●昭和44年の広瀬通り
街路樹も若々しい昭和44年当時の広瀬通り。仙台の中心部ながら、民家のような低層の住宅も見られます。今では少なくなった路上駐車の列も見えますし、車道を堂々と横切る自転車も見えます。まだまだのどかな時代だったのですね。空ものんびり広がっているようです。

写真および記事の無断複製・複写・転載を禁じます。

名前 コメント 投稿日時
November 2009
変わり行く仙台 【一枚の写真から】

変わり行く仙台

今では高層ビルが林立する近代的な大都市に変貌した仙台ですが、ほんの数十年前までは全く趣の違う街並みを形成していました。ダイナミックに変貌してきた仙台の歩みを1枚の写真で振り返ります。

【写真提供:仙台市】

●昭和30年代の一番町
昭和30年代の一番町1丁目付近。下水道工事が進められ、ゆっくりながらも着実に都市基盤が整備されて行きました。この頃の一番町1丁目界隈は商店や工事事務所、旅館など多種多様の建物が渾然となって街並みを形成していました。

Image
Image

●宮沢橋竣工
昭和30年に完成した宮沢橋。現在も残る鋼桁橋で、広瀬川を渡る重要な橋のひとつ。半世紀も前の風景とは思えませんが、後ろに見える大年寺の緑を見るとまだまだまばらな印象で、時の流れを感じます。

●新北目ガード付近
昭和40年の清水小路多賀城線とJRの立体交差工事の様子。新北目ガードの辺りで、SLが走り抜けようとしています。重機は見られず、工事はひたすら人力に頼っていた様子。工事用の車両も三輪トラックで、懐かしいですね。

Image
Image

●昭和44年ごろの東二番丁通り
左手奥に噴水で親しまれた「長銀ビル」が見えますので、南から北を望遠したものでしょう。今では高層ビルが林立する仙台のメインストリートですが、ほんの40年ほど前は、こんなにのどかな通りだったのですね。

写真および記事の無断複製・複写・転載を禁じます。

名前 コメント 投稿日時
Ironman カマボコ型ドームは、間違いなく1000番台。
仙山線の貨物列車が、まだ有った頃だからED91辺りから
引き継いだ奴かもしれませんね。 失礼。
仙山貨物、終末期の宮城野→陸前山王→仙台→山形が頭に浮かんだので--.
20091125
おかちゃん 写っている写真からD51の1000番台とわかるのですか?
長町駅の貨物ヤードは、まだまだ使用していたと思いますが・・・
20091117
Ironman 40年といえば、メトロポリタンの辺りにあった貨物ホームも
すでに無く、宮城野駅も貨物線もとっくに出来て客貨分離は済んでるはずなのに写ってるSLはD51の1000番代。
どういうシチュエーションだったのかな?
20091115

ARCガイドブック「北上川」「最上川」