(平成19年9月15日発行 仙台Travisより)

東二番町通りを北進し、北仙台界隈を訪ねる。
沿道にはビルが間断なく並び、
北仙台も都心の一部になりつつある。
町の個性も埋没したかのようだが、
歴史をひも解きながら訪ねてみると、
その景観からは様々な物語が浮かび上がってくる。
仙台浅草は、軌道跡!?
今も昔も、交通の要所
「仙台市営地下鉄の開業が起爆剤となって、北仙台界隈の町並みはビルが林立し、大きく様変わりした」と住民が口を揃えていう。背後から迫るように建つ高層マンション群に、昭和4年に開業した旧国鉄仙山線・北仙台駅の瀟酒な駅舎も窮屈そうだ。
北仙台の名称は住所表記に使用されていないためエリアを特定できないが、JR北仙台駅周辺とするのが一般的。
周辺のバス停や郵便局、マンションの名称の多くが北仙台を使用している。
(※現在の北仙台界隈の町名/堤町・昭和町・青葉町など)
昭和の一時代、北仙台には3本の路線が走っていた。
旧国鉄の仙山線。大正11年、通町から北仙台、東照宮を経由しての瞑想の松、そして八乙女までを結んだ仙台鉄道(仙台軌道)。さらに昭和12年に北仙台線が開業した仙台市電と、近代交通機関が整備された。馴染みの薄いのが仙台鉄道。昭和4年には中新田まで延伸。市電の北仙台線開業に伴い通町と北仙台間が廃止され、北仙台が起点駅となった。
ターミナルは平成15年、泉区に移転した宮城交通本社跡(現在は高層マンション)におかれ1両に50人ほど乗れる3両編成で、1日4~5往復していたという。台原付近の坂が思うに任せず、客が降りて後押しした、という逸話も残されている。仙台への通勤通学の足として、また七北田から牛乳を運ぶ手段として活躍し、昭和25年まで運行した。
仙台浅草の通りは、その仙台鉄道の軌道(通町と北仙台間)だったというから驚きだ。
また、長く市民の足として利用された仙台市電北仙台線は、昭和44年に廃止された。
背中が窮屈そうなJR北仙台駅
仙台鉄道北仙台駅跡
北限のマチキレ(町切れ)は、
藩政時代からの焼き物の町
全盛時代の登り釜
今でも存在感のある6連の登り釜
佐大ギャラリー辺りが城下のマチキレ
当時の焼き物が並ぶ佐大ギャラリー2階
江戸時代、仙台城下を南北に貫いた幹線の奥州街道。芭蕉の辻、国分町、北鍛冶町、そして青葉神社を東に折れ堤町に入る。この堤町辺りが城下の北限であり、別名マチキレと呼ばれていた。
仙台市電が開通するまでは人馬が往来し、鬱蒼とした木立に包まれた小高い丘にある鹿島香取神社の前には馬頭観音の石碑がひっそりと建っている。
この一角だけが開発という波を押しやり、現在と奇妙な景観の対比を成している。
堤町といえば藩政時代に始まった焼き物の町としても名高い。元禄年間に台原で始まった「杉山焼」が堤町に移り、足軽たちの内職として定着し「堤焼」と呼ばれるようになった。昭和初期には最盛期を迎え、窯元の数は15件ほどに。
従事の一端を垣間見れるのが史料館として開放している「佐大ギャラリー」だ。佐大商店の旧作業所を利用した展示室には、五升がめや水がめ、たこつぼ、瓦などが所狭しと並ぶ。屋外には、仙台市内に唯一現存する6連の登り釜があり、思わず目を奪われてしまう。
佐大ギャラリー
仙台市青葉区堤町2-11-38
TEL:022-234-2674
時間:9:00~17:00
休業:不定休
料金:無料




※承認まで数日かかる場合がございますので何卒ご了承ください。