(平成21年12月15日発行 仙台Travisより)
河原町から南へ。
広瀬川を眺めながら広瀬橋を渡ると広がる長町界隈。
昭和51年まで仙台市電が走り、その15年前までは秋保電鉄の始発駅も長町にあった。
(昭和36年に全線廃止)
さらに江戸時代まで遡れば、仙台城下から江戸城までの最初の宿場町だった。
宿場や駅があることで、各方面から人が集まり、商売を始め、活気に満ちた街並みを形成していった。
それから数百年の時が流れたが、人と人がふれあう街・長町は、今も健在。
日々変化する街を楽しみながら、ぶらりと歩いてみよう。
かつては参勤交代で通った広瀬橋
明治時代には鉄筋コンクリートに
長町側から河原町方面を見る。
8ヵ所ある橋のバルコニーに立つと、
さらに広瀬川のせせらぎを身近に感じられる
河原町と長町を繋ぎ、清流・広瀬川に架かる広瀬橋は、寛文8年(1668)に架けられた。
仙台藩2番目の橋(1番目は大橋)で、名称は「永町橋」、江戸への参勤交代で通る橋であったという。
その後、明治42年(1909)に東京帝国大学廣井教授の指導で、日本初の近代的な鉄筋コンクリート・桁式橋に生まれ変わった。
その時に「広瀬橋」と命名された。
現在の橋は後に、昭和34年(1959)に造られたもの。
ちなみに、「長町」という町名は、広瀬橋から諏訪までの約2㎞の長い道筋から付けられたという説がある。
橋ができたのは、若い娘の命のおかげ
橋のために自分の身を差し出したのは、百代の里(根岸)の長者のひとり娘・愛姫
広瀬橋を渡ると根岸方面に祠があるのをご存知だろうか。
藩政時代、大雨で洪水になると川は氾濫し、橋が何度か流されることが度々。
そのため、日本各地に架橋についての人身御供伝説が生まれ、そのひとつがこの広瀬橋にもあったという。
大雨が続いて広瀬川が暴れ、橋がなかなか架けられない時、龍神様のお怒りで、信心深い若い娘を人柱にしないと橋はできないという噂が出る。
すると根岸の長者の娘が人柱になると名乗り出た。
娘は生きたまま埋められ、娘の息が絶えると川の水が黄金の滝になって天に昇ったという。
その後、川水が引けて橋を架ける作業ができるようなったという。
橋や土木の神として信仰され、橋姫を祀った祠と橋供養の石碑が橋のたもとにある。
イボ取りにご利益の蛸薬師。
薬師像は蛸と共に流れ着いた
舞台八幡神社・蛸薬師如来祭典は、毎年5月に開催。神興巡行や舞台で神楽が行われる
大通りを歩き、笹谷街道の道標を曲がると、長町4丁目にある蛸薬師通りにぶつかる。
蛸?
本体は薬師瑠璃光如来像である。
言い伝えによると、神社の斜めにある病院のあたりは昔、大きな池があったらしい。
ある日、洪水があって、水が引けると池に薬師像が蛸に吸い付かれて流れ着いていた。
その薬師像にお堂を建てて、毎年お祭りをすることになったという。
周辺住民に広く信仰され慕われている。
手のイボで悩んでいた若い娘が蛸断ちをして願をかけたところ、きれいに治ったことが世間に広まり、イボ取り薬師といわれるようになった。
また、耳を患ったときは、穴のあいた「カワラケ」の小皿をつないで供えるとご利益があるといわれている。
同じ敷地内にあるのが、舞台八幡神社。字のごとく、晴れの舞台や舞台成功にご利益があることから、芸能関係者からも信仰を集めている。
まちの財産、宝を伝える
長町歴史の会
長町界隈に配布されている「人情豊かな長町の情報紙 ゆとり~と」には、長町の歴史を知る興味ある記事が隔月で掲載されている。
その執筆者は、「長町歴史の会」会長の内田貴和さん。
年に3、4回の公開講座や、恒例になっている「長町歴史クイズラリー」を開催している(※)。
「豊かな文化が溢れている長町のことを、次世代に伝えていこうと思って活動しています。
長町生まれで長町育ちですが、知らないで暮らしていたこともあり、奥深い長町の歴史や文化を改めて認識させられています」と内田さん。
※2009年はインフルエンザのため中止


※承認まで数日かかる場合がございますので何卒ご了承ください。